
薬師寺、唐招提寺のすぐ近く、近鉄橿原線の走る電車沿いに満々と水を湛えた壕の向こうに見える緑の小山は 第11代崇人天皇の御陵 菅原伏見東陵で 「宝来山古墳」と呼ばれています。

濠に囲まれた前方後円墳の風景としては最も美しい古墳の一つとされており、辺りを見渡せば東に若草山、西には生駒山が遠望できるのどかな田園風景が拡がっています。 周辺は見渡せないほど巨大な古墳です

なにやら眼につく丸い小島・・・・。周壕内にあるこの小島には 垂仁天皇によって常世の国に不老長寿の霊薬を求めて使いに出され苦節十年、 非時香菓(ときじくのかくのこのみ)を持ち帰った 田道間守(タジマモリ) が葬られております。 ※「古事記」では 多遅麻毛理と記述
「古事記」の記述 「 長い時を経た苦しみの末、常世の国に行き着きその木の実を採り持ち帰ってみると大君はすでに亡くなっていた。タジマモリは墓の前でそのまま息絶えてしもうた。その木の実というのはいまのタチバナのことじゃ」
権力者が求めるのはいつの時代も永遠の命・・・・常世国って結局どこに行ったのだろう? みかんを持ち帰るって事はしまなみ街道の小島か伊豆あたりか? でも10年も探しまわったにしては近すぎる・・・。 タチバナは柑橘類で今のみかんの源と言われている。 万葉時代には奈良、京都にも多く見られ、代々天皇が即位する紫宸殿建立の際 敷地内の橘と桜の大木を表階段の左右に位置するように設計したのが 右近の橘、左近の桜伝説と言われています。
崇人天皇は この他サホビコ、サホビメの秘話、その御子「もの言わぬ王子ホムチワケ 」「石上神宮のおこり」など古事記の逸話に事欠かない興味をそそられる天皇です。

天照皇大神社 (古墳の西)
本殿背後に古墳が見える。

天神社:ご祭神 豊国主命、天照大日霊貴尊(古墳の東)
現在、天皇陵はすべて宮内庁の管理で立ち入り出来ないが、このような形で整備されたのは江戸末期、 管理が強化されるようになったのは明治以後のことで 研究者でさえ立ち入って調査することができない理由のお一つに 天皇家が万世一系であるという説を根本的に覆す秘密の出現を恐れているという見解もある。
民主党の小沢幹事長の母君や社民党の福島党首の両親が韓国籍だということで、最近のメディアは日本は人のみならず神々までもが朝鮮半島からの帰化人だとまことしやかに語られるようになった。まぁ、いい。真実は一つだろうし・・・。







