2010年4月20日火曜日

紫香楽宮(しがらきのみや)



紫香楽宮(滋賀県、信楽)は 奈良時代 聖武天皇が平城京からの脱出を試みて造営した離宮で緑の松林に囲まれた緩い坂の参道を辿ると金剛跡、その背後を囲むように僧坊跡、経堂跡、などの礎石が並んでいる。東西90M 南北役110Mにわたる広い丘陵地には 建造当時の335個の礎石が完全に残っており、はるか天平時代の雅やかな雰囲気が偲ばれる佇まいです。

八幡神のことを書かれていた本に、聖武天皇が紫香楽宮に固執する様子が描かれていた。

5年の間になぜ都を4ヶ所も移動しようとしたのか? 聖武天皇の理想は誰もが仏教に帰依して仏の道を目指す菩薩国家の建設だった。 藤原が牛耳る平城京を避けるため、政都を恭仁宮か難波宮、宗教上の理想を追求する法宮として紫香楽宮跡を選んだが、相次ぐ放火など反対勢力の謀略で頓挫した。 
 


恭仁宮や紫香楽宮に共通するのは穢れた平城の都から逃れたい との思いが伝わる山に囲まれた穏やかな地形で、どちらも葛城山の麓を彷彿とさせる気高い風土が感じられる。

しっかし、聖武天皇ってお母さんも嫁さんも藤原不比等の娘なんですよね・・・。あり得ない話

今日も日経は反落、含み損が1千万に逆戻り・・。こっちもあり得ない話。

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